2017年08月02日

マスメディアの崩壊の始まり

近代民主主義国家の原則の1つに,「3権分立」があることはご存じかと思います。  
マスメディアとは、3権である立法・行政・司法の監視をする使命があるという意味合いで言われ出した言葉だったはずでした。
しかし、いつの日からか、3権を監視するはずのマスコミが立法・司法・行政と並ぶ第4の権力として国民に多大な影響力を持ち始めました。
健全な民主主義政治が行われるための重要な要素に,言論の自由や知る権利の保障があります。      これを実際に担うのが、新聞・週刊誌・テレビ・ラジオなどのマスメディアです。
特に国民の知る権利の役割を担っているマスメディアの存在は重要なものでありますが、立法・司法・行政を公平・公正に監視するマスメディアが御用メディアと化したり,腐敗したりすれば,この重い責任は果たせません。
しかし、ここで問題です。
権力の監視を、いつ、日本国民が、マスメディアに託したのでしょうか。
マスメディアが権力の監視を自分に課した使命だと位置づけるなら、それはそれで勝手ですが、それは国民の負託を受けたものではなく、マスメディアが勝手にそう思っているだけなのです。
国家権力の監視といいながら、政権批判をするどころか、総理大臣を誹謗中傷し、カネで雇った知識人や学者・大学の教授を頻繁にテレビに出演させては、人格否定までも躊躇なく垂れ流し、国民に対して印象操作をしては、世論を誘導し、得意の世論調査を持ち出して、支持率が下がればこればこれを嬉々として伝えることが国家権力への監視になるのでしょうか。
国家権力と言っても政治家は所詮、選挙で国民に選ばれたものであって、一党独裁国家や独裁者と同等に扱うこと事態、マスメディアの歪んだ姿勢と言わざるを得ません。
現在の安倍政権というより、安倍晋三氏をナチスのヒトラーにたとえ、独裁者のような印象操作をしていますが決して専制君主や独裁者ではないし、批判・誹謗する自由まであります。
しかも、選挙という洗礼を受けねばなりません。
“権力者”などといったところで、任期がくれば、それで終わってしまいます。
現実的に、第4の権力であるマスメディアの方が国家権力よりも遙かに巨大であります。
相手が政治家トップであろうが、生かすも殺すも思いのままなのです。
どんな権力者であれ、その社会的生命を断つことができる。
つまり、人々に対する生殺与奪の権限を握っているのです。
国民の知る権利や報道の自由を美名の元に自分たちの意に合う報道しかしない反面、意にそぐわないものは、少数の意見であっても国民全体の声として大々的に取り上げ、一方の意見は、一切黙殺して、報道しない自由を行使するのです。
これを健全な報道姿勢と言えるでしょうか。
放送法第4条の第2項には「政治的に公平である」と記され、3項には「報道はまげないですること」と4項には「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」と定められていますが、現存のマスメディア全般は、著しく放送法第4条に違反するものであります。
私たち日本国民は、知る権利を有していますが、その前に真実を知るが前提となります。
決してマスメディアは正しいく報道するとは限らず、意図的にねじ曲げ、あるいは、ないものをあるものと信じ込まされてしまう危険性を孕んでいるのです。
第4の権力が国家権力を監視するならば、私たち国民が第4の権力を監視、チェックしていかなければなりません。
posted by きむじい at 19:47| Comment(0) | 日記
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